北京オリンピックを控え、スノーボード・ハーフパイプの金メダル獲得を期待されている戸塚優斗さんですが、実は、兄と慕う方との別れや、平昌オリンピックでの怪我など、さまざまな辛い経験を乗り越えてきたそうです。
この記事では、
- 戸塚優斗さんのプロフィール
- 戸塚優斗さんの兄と慕う方との別れとは
- 戸塚優斗さんの平昌オリンピックでの怪我は?
- 戸塚優斗さんの家族は?
について紹介していきます!
目次
戸塚優斗のプロフィール
- 名前:戸塚 優斗(とつか ゆうと)
- 誕生日:2001年9月27日(現在20歳)
- 出身:神奈川県
- 競技:スノーボードハーフパイプ
- 所属:ヨネックス
- オフィシャルサイト
戸塚優斗の中学・高校・大学等の学歴
戸塚優斗さんの学歴はこちら。
- 中学:横浜市立西谷中学校(2017年卒業)
- 高校:光明学園相模原高校(2020年卒業)
- 大学:日本体育大学体育学部(在学中、現在2年生)
戸塚優斗の戦績・受賞歴
戸塚優斗さんは2022年の北京オリンピック日本代表に選出されました。
4年前の平昌オリンピックでは決勝で転倒して怪我をして、結果的に棄権となったので、今回はその悔しさをバネに頑張ってほしいですね!
戸塚優斗さんが日本代表として選出されたことについてのコメントはこちら。
「素直に嬉しいというのと、4年前悔しかったんで晴らせるかなって感じですかね。(日本人同士のメダル争いについて)みんな高めあっている感じなので本当にレベルが高くてどうなるかって感じですね。
ワールドカップでも決められなかったルーティンだったりとか、まだ大会で出せていないトリプルだったり、そういうのを決めて金をとって帰れたら嬉しいです」
引用元:Yahoo
そんな戸塚優斗さんの近年の戦績と受賞歴はこちら。
■2020-2021
- World Cup (スイス) ハーフパイプ 優勝
- 世界選手権(アメリカ) ハーフパイプ 優勝
- World Cup (アメリカ) ハーフパイプ 優勝
- 全日本選手権大会(札幌) ハーフパイプ 優勝
■2019-2020
- World Cup(アメリカ) ハーフパイプ 準優勝
- World Cup(中国) ハーフパイプ 準優勝
- World Cup(スイス) ハーフパイプ 準優勝
- World Cup(アメリカ) ハーフパイプ 優勝
■2017-2018年
- 平昌オリンピック 出場(怪我)
戸塚優斗の滑りの動画
戸塚優斗さんの滑りは、踏み込みが強いけど、踏み込んでいないように見えるどっしりとした滑りが特徴だといいます。
すごいところは、踏み込みで板を押さえて乗ることができていて、スピードをロスせず空中への抜けがスムーズで、全部スピードを高さに変えることができているところなんだそうです。
実際に滑っている映像がこちらです!
また、戸塚さんは、自分の板に落書きをすることが得意で、絵の具を使って描いたりしているそうです。
戸塚優斗さんの兄と慕う方との別れとは
戸塚優斗さんには、兄と慕う存在がいました。名前は、柳原真央さんで、2011年12月、大会に向かう途中に交通事故に遭い、17歳という若さで亡くなってしまったといいます。
戸塚さんと柳原さんは同じヨネックスの契約ライダーだったそうです。
2人を良く知るという、戸塚優斗さんのスポンサーでもある「HEAVEN STORE」ショップ代表の中本健太郎さんの取材記事には、
「同じヨネックス、お店のチームの中での師弟関係という感じだった」と振り返る。「基本的にはスノーボードの先輩後輩なので、元々はうまいお兄さんという感じ。真央の滑りを見ながら、優斗もここがカッコいいとか盗んでいたんじゃないかな」。昨夏のシーズン開幕前、店に顔を出した戸塚は「もし真央くんが生きていたら一緒に五輪に出られたかもしれないね」とぽつりとつぶやいたという。
引用元:スポニチ
と書かれています。
また、戸塚さんは滑りの技術はもちろん、生活面と礼儀も柳原さんに習ったといいます。
あいさつが小さいと怒られることもあったそうです。
戸塚さんは柳原さんをスノーボーダーとしてだけではなく、人としても尊敬していたからこそ、柳原さんを兄のような存在として慕っていたのですね。
今でも、戸塚さんは兄と慕う柳原さんの存在を大切にし、板には「NEXT MAO」と書かれたステッカーが貼られているそうです。
平昌オリンピックで大転倒!戸塚優斗さんが乗り越えた怪我とは
戸塚優斗さんは16歳の時に平昌オリンピックに出場しました。
しかし、決勝の2回目でハーフパイプのふちに落下してしまい、そのまま転倒しました。
自力で動くことができなくなり、担架で運ばれ、搬送後は3回目を棄権することに。
こちらがその時の動画です。
怪我については、全身を検査した結果、「骨折はみられず、打ち付けた腰に痛みはあるが、選手村に残る」ということが発表されました。
当時の状況について、戸塚さんの高校の時の担任だった方の情報によると、
生徒の一人が電話すると、あっさりと「痛いけど、大丈夫」。電話口の口調はいつもと変わらぬ落ち着き払ったもの。ただ、帰国後に脇野氏が直接聞くと、正直な感想が返ってきた。
戸塚 「震えました。五輪はいつもの大会と違う。景色が違ったんですよ」
引用元:Yahoo
と述べています。
当時はまだ16歳だった戸塚優斗さんにとって、平昌オリンピックはものすごいプレッシャーがあったのかもしれませんね。
自信のインスタグラムでは、
「本当に悔しい結果になってしまいましたが、自分の課題などが見えたりしたのでいい経験になりました!」
と書いてありました。
戸塚さんはこの平昌オリンピックでの経験を活かして、北京オリンピックに向けて、さらにレベルアップしていっているそうです。
戸塚優斗さんの家族について
戸塚優斗さんの家族構成は、
- 母
- 父
- 優斗さん
兄弟についての情報は出てきませんでした。
戸塚優斗さんは、3歳のときに母親の影響でスノーボードをはじめたそうです。
母親に連れられ3歳で始めたスノーボードの操作は、小3で初めて入ったハーフパイプでも世代の群を抜いていた。その頃、泣きながら滑る戸塚少年の姿が母親らにたびたび目撃されている。
引用元:日経
戸塚優斗さんには第二の母親がいた
戸塚優斗さんには母親的な存在がもう1人いたといいます。
その方の名前は
三井真紀さん
三井真紀さんは元プロスノーボーダーで、幼少期の頃から戸塚さんのコーチをしていた方だそうです。
三井さんはスノーボードの技術だけでなく、「野菜を食べて」「挨拶はちゃんとする」などといった生活面でのことも指導してくれていたといいます。
戸塚さんは、三井さんのことを「お母さん」と呼び、三井さんも戸塚さんの「第二のお母さんのつもり」だと述べています。
彗星のごとく現れた戸塚優斗の強さの秘密がわかった気がする。その滑りの礎を築き上げたのは、昔一緒に大会を転戦していた同世代の元プロスノーボーダー、三井真紀の教え。ひさしぶりに会った彼女からいろんな話を聞けた。都会で生まれ育った16歳の高校1年生が冬季オリンピックのメダルを目指す。 pic.twitter.com/o4u09sMAtw
— 野上大介 (@daisuke_nogami) February 4, 2018
戸塚さんは2人のお母さんに支えられ、ここまで成長することができたのですね!
平昌オリンピックでの怪我や、兄と慕う方との別れなど、さまざまな辛い経験を乗り越えてきた戸塚優斗さん。
北京オリンピックでは、これらを乗り越えた強さで、是非金メダルを獲って欲しいですね!